父の死

この記事は、FBにも掲載したものですが、シリーズで今後伝えたいメッセージがあるのでブログにもアップします。

パーソナルなことなので、シェアするか迷っていましたが、今シェアしたいと思いました。
前回の帰国時、7月に、父が他界しました。
享年83歳。その日は都内で4日間のセミナーの真っ最中で、しかし、唯一夜が空いていた日の夜10時過ぎ、病院のベッドで肺炎で息を引き取りました。
しかもその日、子供達がセミナーに来ていて、奇跡的に一緒に最後を看取ることができました。
このタイミングを父が選んでくれたんだろうな。

良い父親だった。子供の頃は厳しかったけど、年を追う毎に丸くなっていって。
2年前に母が他界して、いつかこの日が来るのは覚悟していた。
そして、その日が来るまでできるだけたくさん思い出を作ろうと決めた。

母が他界した数日後、父は泣きながら言った。
「もうお母さんがいなくなって、俺もいつ逝ってもいいよ。
こんなボンクラの俺が今生活できているのは、お母さんがちゃんとしていたからだ。」

やばい、生きる気力をなくしてる、と思い、私はこう言った。
「お母さんは、そう思っていなかったよ。お父さんが頑張って働いてくれたから感謝しているって言ってたよ」
え、みたいな、意外な反応をしていたけど、ちょっと落ち込みから半歩這い上がった感じだった。

さて、どうやって生きる気力を取り戻してもらおうか、考えた。
そして、母の急死であまり寝ず食わずで体力を失っていたので、好物のカニを食べに連れて行くことにした。
そこで父はすごい勢いでカニを頬張った。あれがきっかけで元気を取り戻し始めた。食事って効くんだな。

沖縄に行ったことがないというので、12月に子供達と4人で沖縄に行った。
綺麗な海に感動して、子供達がはしゃぐのを細い目で見て楽しんでいたっけ。

去年の夏、息子と一緒にアメリカに遊びに来た。
そして、2週間ちょっとの滞米中に、カンクン、そしてカナディアンロッキーへと3泊ずつ旅行に行った。
バンフを車で走る道中、父親は外の景色に釘付けだった。いやー、命の洗濯だ、って何度も言ってたっけ。
子供みたいに、ありがとう、ありがとう、っていうんだよな。

年明けに、私がアメリカからいつもの安否確認で電話すると、その場でろれつが回らなくなって、意識を失っていった。その時アメリカは夜9時過ぎ。今から空港に行けば0時過ぎのフライトに間に合う。
スーツケースに20分で衣類を放り込み、予約もなしに空港に行くと空席があり、飛行機に飛び乗った。飛行機ではほとんど眠れなかった。
病院の集中治療室では、私がアメリカ在住と聞いていたのに思ったより早く到着してびっくりして、でもアメリカから来たからかとても親切にしてくれた。優しさが心にしみた。

結果は低体温症で数日入院。退院しても寒い日本でまた同じことが起きるといけないので、そのままアメリカに連れて帰った。これが最後のアメリカとなった。
好きな焼酎を飲みながら、独立した時の苦労話をした父の姿が昨日の出来事のように感じる。

4月1日、私の誕生日に一緒に日本に帰国。もう一人暮らしはできないので、老人ホームを急いで探す。
2件目が素晴らしい老人ホームで、そこでの暮らしが始まった。
父親は行くたびに、こう言っていた。
「俺は人生で今が一番幸せだ。ここじゃなあんにも考えないで済むからな。」

父はずっと自営業をしていて、ほんの数年前まで、仕事でトラブったり納期が遅れたりする夢をよく見ていたそうだ。
その意味で、それらのすべてから解放されたのだろう。
今は天国で、本当にすべてから解放されて、リラックスしているかな。
楽しい時間を本当にありがとう。私にとって最高の父親でした!
僕も残りの人生頑張るよ。上から見守っててね。

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