母が振り込め詐欺にあったスピリチュアル的意味 その5

実家に着くと、真っ赤な目をして生気のない父親がいた。
一緒に途中で買ったサンドイッチを食べて、葬儀社が空く時間を待って、出かけて行った。

そこに、冷たくなった母の遺体があった。
係りの人に、触っていいですか?と聞くと、どうぞ、と言ってくれた。
遺体に触れたのは初めてかもしれない。
本当に冷たくなっちゃうんだな。ドライアイスを使っているから尚更か。
母の頬に触れながら、しばらくうつむいて涙が止まるのを待った。

それにしても、突然にしてもほどがある!
何しろ、出発直前に、週末には子供達と実家で全員集合しようと電話で話していたばかりなのに!

その電話の時も母親は、ご近所の同い年の旦那さんが亡くなられて、自分もその時が近いのかしら、なんて弱気なことを言うので、そう考える代わりに、90歳まで生きるならこれから10数年何をしたいか、どこに行きたいか考えたら?
と話したのだが、くしくもそれが最後の会話になってしまった。

そんな前触れもなく逝かないでよ!
人ってこんな簡単に死んじゃうの?

色んな思いが頭をよぎった。

葬儀社での打ち合わせでは、父はもぬけの殻だった。
父親は、坊主と葬儀屋儲けさせてもしょうがんねえ、と江戸っ子のように言い放っただけで、後はお前に任せる、と私に一任した。
母親は、父親が一人で葬儀を仕切るのは大変だろうと考え、私が帰国するタイミングを選んだのだろう。

死のタイミングにさえ偶然はないという経験を宇宙が私に届けた気がした。

数日後、無事葬儀は終了した。
夏で遺体が傷むのが早いので、数日以内に執り行った方がいいとの葬儀社の勧めで、帰国後5日目くらいには葬儀が終わっていた。
身内だけの静かな見送りだった。

その直後の週末は、私のセミナーだった。
それはビジネスセミナーだったのもあり、母のことは触れずに、お腹に力を入れて乗り切った。

その翌週末もイベントで、これはスピリチュアルなイベントだったのもあり、最終日、今回起きたことをスピリチュアルタッチに参加者に話すことにした。

これは失敗だった。思い出すと涙が止まらなくなり、私は、参加者の前で、しばらく子供のように大泣きしていた。

醜態をさらしてしまった。が、数名の方が、最後に私に、温かい声をかけに来てくれた。

愛とはありがたいものだ。

それにしても、どうしてこんなに涙が出るのだろう?

それは皮肉にも、私と母は、よく衝突をしていたからだ、と気づいた。

私は、小学校の頃から、学校創立以来の問題児だった。
どれくらい問題児だったかというと、特殊学級に入れられることが検討されていた、といえば想像がつくだろうか。

テストはいつも0点とか10点とかで、テスト用紙をそのまま飛行機にして窓から飛ばしてしまったこともある。

私の隣に座った人は悲劇で、いつも授業妨害をしていたし、人のものを借りる、壊す、なくすなどは朝飯前だった。

学校からの配布物を家に持って帰った試しはなく、母親が授業参観のことを知るのは、いつも他のお母さんとの立ち話で直前に聞いて慌てて参加するのが常だった。

ある時は、他のクラスに行って、なぜかそのクラス全員の前で自分の行動を説明し、謝らされた。
恥をかいたら行動が変わるのでは、という療法らしい。
しかし私に効き目はなかった。

別の日には、隣のクラスの男性の先生が来て、私は何もしていないのに、お前が礒か!
とか言いながら、脳天を上から思い切り平手で叩かれた。
痛くて痛くて、星がちらついた。
気合を入れる、という目的だったようだが、痛みだけが残り行動は変わらなかった。
今の言葉でいえば、理不尽さだけが子供心に残った。

そしてある日、強制的に1日学校を休まされた。
家で反省しなさいということだ。
私は、少年ジャンプが1日読める!とおおはしゃぎをして、それを見て母は泣いた。

泣きながら母は言った。

「お母さんはね、何も良い成績をとれとか、特別なことをしてほしいわけじゃないの。でも、授業を静かに聞くとか宿題を家に持って帰るとか、普通の人がしていることくらいしてほしいだけなの。」

私は今でもこの時のことだけは鮮明に覚えている。
母の話を聞く間、実家のタンスの取っ手に目をやりながら、ちょっとおふざけがすぎたかな、これからはもう少し真面目にやろう、と心に小さく誓ったのを覚えている。

その後も一進一退したものの、本当の意味で普通の人に近づいたのは随分と後で、それは高校入学後だった。
担任との面談で、覚悟して出かけた母に、当時の担任がこう言った。

「礒君は問題ないですよ。ただ元気が有り余っているみたいで部活入ったらどうですか?」

母から聞いた話はこれだけだ。が、母はその夜、その話をしながら泣いた。これまで面談というと、やれ子供の教育がなっていないだの、甘やかし過ぎだの散々絞られてきたが、問題ないなんて言われてのは初めてだ、と。

こんなことで泣く母親を見て、自分がしたことの罪の大きさを思い知った自分だった。

その6に続く

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