お墓は必要?スピリチュアルの観点から解説

こちらの投稿は「スピリチュアルな人生相談」として、礒が視聴者やメルマガ読者からの質問に、YouTubeで音声にて答えたものを文字起こししたものです。そのままの表現で掲載しているため、全て口語調になっております。あらかじめご了承下さい。

時代と共にお墓のあり方に変化が出てきて、多くの方が「お墓は必要なのか」悩んでいらっしゃいます。今回は、お墓の必要性に関して質問をいただきましたので、スピリチュアルな観点を含めて回答させていただきました。

お墓の必要性とは

【質問者:渡辺さん】

シンプルな質問です。お墓は必要なのでしょうか。子どもがいない家庭などは子孫が途絶えると思いますが、そういった方々は必然的にお墓参りに来てくれる方がいなくなると思います。

永代供養などお寺で供養していただくのが正しいのか、礒さんの視点からアドバイスいただければとても嬉しいです。

スピリチュアルから考える自然葬

スピリチュアル的に何が正しいと考えるよりは、ご本人が何をしたいか、その一言に尽きると思います。私は両親をお墓に入れる代わりに、海に散骨するという自然葬という方法を選びました。

その背景について説明します。魂を扱うときには、大きくスピリチュアルと宗教に分かれるかと思うんですよね。そして宗教の場合、どんな方法であるかというのはそれぞれの宗教に属するものです。

スピリチュアルの場合は、極端に言いますと「魂から来て魂に帰る」というのが前提で、ときには形式にこだわらないのがスピリチュアルです。この方法じゃなきゃいけないとなった瞬間に「もしかしたらスピリチュアルではないのかもしれない」と考えてみて下さい。

私はアメリカに住んでいますが、他界した両親と繋がろうと思ったときに、目を瞑ると両親を感じることが出来るんですよね。そうすると、わざわざお墓のある場所まで行かないと思うんです。

そして、生きる以上はスペースが必要ですが、そのスペースは限られています。が、現実的には、例えば、お墓の近くは気味が悪いからと住みたくないという人が出てきたり、元々お墓であったところは幽霊が出るという理由で土地が再利用されなかったりします。

そして、渡辺さんが仰るように、お墓参りに来てくれる人もいなくなるなど、様々ことがあると思うんです。

体を、人生の経験を積むための車だと考えると、その車は自然界の物質で出来ているわけですから、車に乗り終われば自然界にそのそのまま戻していいという考えが自然葬の元だと思うんですね。そして、場所も取りません。

私は横浜生まれということもあり、両親の遺骨を横浜ベイブリッジの近くで散骨しました。そうすると、ベイブリッジの上を通るたびに、お墓参りに行ったような気分が味わえるんですよね。

もちろん、両親の魂が下にいるわけではないですが、そういった点から個人的にはとても好きな方法でした。

まとめ

例えば、お墓はこの方角が良いとか、石を高級なものにしたほうのが良い、ということを唱える人がいるのも知ってます。

しかし、私個人の意見で言いますと、魂はそういったことを気にしないと思っています。気にするのはこちら側の人間で、魂は自分のために残った人がどんな種類の石を選んで、何百万払ったのか、ということで報われた気になることはない、というのが私の考えです。

 

この記事の内容は動画でもご覧いただけます。動画はこちら↓

スピリチュアルな人生相談「お墓は必要でしょうか?」

モバイルバージョンを終了