一冊の雑誌が私の運命を変えた。
- 私のスピリチュアル起業物語
- 2020年3月12日
私のスピリチュアル起業物語-第2章
第2章:閉まるドアがあれば、開くドアが必ずある
教訓:居心地が悪くなるのは、その環境を卒業する宇宙からのお知らせ
そう思った。では、辞めて何をするか?
最初は転職を考えた。当時日本人で、アメリカでの本格的なオンラインビジネスの経験者はそう多くなかったから、転職はみつかりやすいだろうと考えた。実際、面接に辿り着いたオファーはすぐにみつかった。が、ある面接で、転職への興味が大きく変わった。某有名企業の面接で先方の話を聞くと、そこでの仕事は、自分が1−2年前にやっていたことに後戻りする仕事だと感じた。それではワクワクしない。
そんな折、一冊の雑誌が私の運命を変えた。
教訓:閉まるドアがあれば、開くドアが必ずある
それは、起業雑誌の一つの記事だった。そこには、私が以前考えていたオンラインビジネスを、既に形にして億単位のビジネスにしているサクセスストーリーが紹介されていた。実は会社のオンラインビジネスの投資が2年間もたついている頃、少しだけ起業を考えた時期があった。その時に考えたビジネスに似たものが、その雑誌に載っていた。
考えているだけでは1円にもならない。
そう実感した出来事だった。その日、私は一冊の新品のノートに、こう記した。
私は、3年以内に起業する事を、今日決めました。
今でもその日付まで覚えている。2002年4月3日の出来事だ。
そして、その日から、同じノートに、起業アイデアを毎日書き始めた。すると、筆が止まらなくなった。これまで潜在的にあれこれ考えていたことが、こんなに自分の中にあったことに驚いた。
教訓:決断をすると、何かが動き始める
進むべき方向に行くと、宇宙は味方をする
部下の1人に、私は半年で日本に帰る事を告げ、実質全権を託し、私は社内でも起業準備に没頭した。もう、止まらなかった。オンラインビジネスへの情熱と、活動の場を奪われた会社への怒り。この2つのエネルギーが混ざったものが、私の原動力になった。
もう、起業しか道はない!
日に日に心は固まっていった。3年後どころか、このまま起業をしたい、と心から思うようになった。
だが、会社を辞めるには、どうしても必要なものがあった。
それが開業資金だ。大した貯金もない中起業をするには、少しまとまったお金が必要だった。あてが一つあった。それが、会社の早期退職金だ。
会社はその頃、35歳以上の中間層を相手に、まとまった退職金を払う早期退職制度を2年連続で秋に募集していた。10月から11月に始まり、2−3ヶ月が応募期間だ。ただし、毎年実施する保証はなく、前年は行ったが、その年も募集するかは微妙だった。そこで、会社に従い、10月1日付けで帰任をする事にした。退職金さえ出ればすぐに辞めるつもりだったので、子供の教育上の理由、という理由で、家族はアメリカに残した。退職金が出ないシナリオは、あまりに怖くて考えないようにしていた。
果たして、私の帰任2週間後に、無事早期退職制度が始まった!
この日のことは今でも鮮明に覚えている。出社すると、会社の正門でその案内が配られていた。私はその案内を握り、トイレに駆け込み、その詳細を穴のあくほど読んだ。これで起業できる!アメリカに帰れる!まだオンラインビジネスを続ける事ができる!狭いトイレの中で、一人そんな喜びで満たされていた。
教訓:進むべき方向に行くと、宇宙は味方をする
早期退職には、帰任直後だが躊躇なく申し込んだ。人事担当者は慌てていた。帰任直後の申し込みということで、今回の帰任が本人の意向を無視した人事のミスのように周りに映ることを心配していた。そこで私は言った。
「会社にも人事にも不満はありません。ただ、起業をしたいんです。」
実は、その頃には、それが本音になっていた。退職の最初きっかけは、上司への不信や人事への不満だったが、起業準備を始めてみると、その楽しさに、そんなことはどうでも良くなっていった。それどころか、どうしてもっと早く起業をしなかったのか、と自分を責めた程だった。
ところで、これに関して面白い逸話がある。
私は、以前からスピリチュアルなことに興味があって、起業から7−8年経ったある時、いわゆるサイキックリーダー・チャネラーと言われる人と話をしていた。そこで、私のガイド、いわゆる守護霊を呼び出してもらい、こんなぶしつけな質問をした。
「巷の本では、ガイドの役割についていろいろ書かれています。実際は、貴方は私達にどんなことをしてくれるのですか?私を例にとって具体的に何をしてくれたか、話してもらえませんか?」
今思えば、ぶしつけすな質問だったと思う。しかし、ここで、腰が抜ける程びっくりする答えが帰ってきた。
「貴方が現在やっている仕事は、貴方のライフワークだ。この仕事をやる為に、それまでの全ての出来事が存在していた。貴方は、会社時代、最後の方は居心地が悪かったろう。それには、私も一役買っている。というのは、貴方は、会社で必要な経験を積み、もう卒業をして、新しい道を踏み出すべき時期に来ていた。しかし貴方は抵抗していた。人は環境が快適だと、離れたがらないものだ。そこで、貴方にとって会社が居心地悪くなる必要があった。貴方の日本行きを上司に決めさせたのは、私だ。」
こんな主旨の答えが帰ってきた。会社時代の最後の一年は、私にとっても苦い思い出なので、それまで誰にも話した事は無かった。それを、私の事を殆ど知らないサイキックリーダーに言い当てられ、最初は驚いた。しかし、これらは全て予定通り、という部分は、自分でも実感していたので、妙に納得できた。
教訓:人生では、見えない所で想像を超える出来事が起きている
時は金なり
話を起業に戻そう。
起業後、最初に手がけたのは健康食品の販売だった。ある健康商品の代理店登録をし、オンラインで販売をすることにした。元同僚からは、世界企業のディレクターから、町の健康食品ストアに格下げだ、とからかわれた。そして実際それは正しい。ではなぜこんな茨の道をわざわざ選んだかというと、たった1つのサイトで、アメリカの激戦ビジネスである小売りで自分を試してみたかった、というのが大きい。大企業でオンラインビジネスを成功させて、小売りで結果を出せない訳は無い、と思っていた。
考えは、甘かった。
そもそも大企業では全てが分業で、私は、社内で誰に何を頼むかは心得ていたが、自分では殆ど手を下していなかった。創業メンバーだったのもあり、私からの依頼は、少なくとも東海岸のチームは優先で動いてくれる、恵まれた環境だった。その為、ドメイン登録、いわゆる、ウェブアドレスの登録の仕方さえ分からないところからの出発だった。
会社なら、部下や同僚にメール一通の依頼で済む所を、全て自分でやると、時に途方も無い時間がかかった。
時は金なり、というのを、これほど実感したことはない。
教訓:起業初期の時間管理は、存続の成否にかかわる
貴方のウェブサイトと広告は、代理店規約に違反しています。
本部からの通達だった。彼らの言い分は、私の割引販売が問題だと言うのだが、実は再販価格をコントロールするのは、独禁法違反だ。私は何も悪い事はしていない。だが、担当者は理が通じるタイプではなく、何か言うと、代理店抹消をちらつかせてくる。話しても全く埒が開かない、しかし、そうこうしている間にもビジネスの機会は失われて行く。
横車を押すような日々が続くうちに、これは、会社時代の最後の一年のように、離れるべき環境なのかも知れないと感じ始めた。ただ、離れるには失うものがあまりにも大きい。実は、お客さんの分母を増やす為に、一年間広告費を毎月100万円以上、多い月には300万円以上つぎ込んでいた。その為に、退職金は使い果たし、そして。。。
借金が1,000万円以上に膨らんでいた。
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