ここでちょっと大胆な発言をしますと、個人的には、成功哲学は20世紀の遺産で、これからはスピリチュアルな視点なしに成功哲学だけを追い求めるのは難しくなってきていると思っています。
それは、ここでお話する理由もその一つです。ちなみに成功哲学は私も色々追いかけてきました。とても役に立った部分がある反面、その過程で違和感も感じました。その違和感の一つが、アクセルとブレーキの使い分けです。成功哲学にもいろいろありますが、私が違和感を感じた成功哲学は以下のような考え方です。
まず、目標を設定します。目標に向かって自分をある意味、強制コンディショニングします。目標に近づく行動は善、目標から離れる行動は悪という具合に自分をコンディショニングするわけです。
これ自体は悪いことではなく、そしてこの手法は私たちを目標にぐんと近づけます。しかしここで一筋縄では行かないのが私たち人間です。何らかの理由で前に進めなくなることがあります。
こうして前に進めないときに、成功哲学の多くはそこで感じたブレーキを無理やり取っ払って前に進もうとします。あるいはそこで逆風が吹いても、「そこでくじけるな!」と、前進のみを選択します。
スピリチュアルは違います。逆風が吹き続けたときに、あるいは自分の中にブレーキが発生したときに、そこで一旦立ち止まり内観をします。そして、目標設定が正しいのか、あるいは今ここで自分のアプローチを変える必要があるのか、そうした微調整をして、また出発を始めます。この微調整には、自分の内側のフィーリングや、宇宙からのメッセージに耳を澄ませることも含まれ、そしてこのプロセスこそが人生で一番大切、と考えるのがスピリチュアルです。何しろ、人生の岐路の答えは、全て魂レベルではわかっているのですから。
成功哲学まっしぐらの人は、逆風が吹き続けても、そこで止まってはいけないという強迫観念にかられて、ブルドーザーのように前に進み続けます。しかしそこで逆風のメッセージを内観しないと、傷口は広がる一方です。そして魂の成長という観点からすると、ここで宇宙から届いている大切なメッセージを受け損ねています。
例えば、もし貴方の周りから人が離れ続けたとしたら、そこで自分の行動の何かを変えなければいけないという強烈なメッセージのことが多いです。というのは人は、大きな苦痛を経験しないと、自分を変えようとしないからです。
自分の周りから人が次々に去るのは大きな苦痛です。そしてそれは自分を振り返り成長するための宇宙からのプレゼントなのですが、成功哲学にしがみつくと、時にこのメッセージを受け取り損ねてしまいます。
そして、どんなに辛くても、体育会系のように、ただ立ち上がって前に進むことだけを選択してしまいます。自分の中の変えるべきマインド、変えるべきアプローチを顧みずに今までと同じ方法で前に進むと、宇宙は容赦なく同じメッセージを届けます。
この視点が、すべてとはいいませんが、多くの成功哲学に欠けているように思います。そして成功哲学にしがみついてビジネスなり人生の目標を設定している人で、苦しんでいる人は、この罠にハマっているように見えます。
これが私が、成功哲学は20世紀の遺物だと考える所以です。
目標達成の技術というのは、これはこれで素晴らしい手法で、自分に問題がない人にとっては最高の手法です。しかし、自分の中に何か変えるべき、超えるべきテーマを持っていたり、人生のテーマを持っている人にとっては、その手法通りにものごとは進みません。
成功哲学は一部の人にだけ効き目があり、大多数の人には結果が出ないのは、こういう仕組みにも原因があると個人的には思っています。
スピリチュアルの点からは、すべての人に異なった人生のテーマがあり、青写真があり、脚本があるので、それを理解して進むと、失敗しようがないと私は思います。
スピリチュアル的には、魂の成長のために生きているので、そして魂の成長の観点からは失敗のしようがないからです。
こうしてすべての人が自分の人生に失敗のしようがないことを悟ったときに、世界は大きく変わると思います。
本日は以上です。