小林麻央さんの死のスピリチュアル的意味

現在、日本に滞在していますが、テレビは連日小林麻央さんの死に関する報道が続いています。これに関して私の思うところを綴ってみたいと思います。

スピリチュアルな点からは、大きな出来事に偶然はなく、それは、人の死も例外ではありません。というよりも、死に関することは確実に、人生の青写真に入っています。どんな死に方をするか、までが脚本に入っているわけです。

今回、小林麻央さんは本当に多くのものを世の中に届けてくれたと思いますが、その中で、私が一番心を打たれたのは、BBCに投稿した以下の文章です。

例えば、私が今死んだら、

人はどう思うでしょうか。

 

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

 

でしょうか??

 

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが

私の人生を代表する出来事ではないからです。

 

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、

愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、

愛した、色どり豊かな人生だからです。

若くしてガンを患い、そして、余命もあと僅かと言われているとき、愛する家族を前にして、そこで「病気になったことは私の人生を代表する出来事ではないからです」

こんな表現を言える小林麻央さんは、本当に素晴らしい人だと思います。

中国のことわざに、「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」ということわざがあります。これは文字通り、虎は死んでその皮を毛皮として世の中に残すという形の貢献をするが、人は死んだあとに、その名声を残すという形で世の中に生きた証を残すことができる、という意味ですが、私はここに一言つけ加えてみたいと思います。

人が死して残すものは名ではなく、生き様だと思います。

今回の麻央さんの生き様、これは世界中に大きな貢献をされたと思います。

そして、生き様を伴った貢献ほど、大きな貢献はないのです。

私たちの一番の使命があるとすれば、それは、

生き様をもって周りに貢献すること

だと私は思っています。それを身をもって示してくれた、麻央さんの生き様でした。

RIP Rest In Peace

小林麻央さんに、安らかな眠りを

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