私のスピリチュアルな離婚物語-第3章

第3章:自分に一番幸せな道の選択は、相手にも最適になる

これまで2回に分けて書いている、私の個人的なお話ですが、引き続き、たくさんのメールを頂いています。

ここで、ふと気づいたことがあり、改めて追記させて頂きます。頂いたメール、メッセージの中には、今後どうしたらいいか、アドバイスを下さる方もおります。

(ありがとうございます。)

人生の相談を受ける側が、アドバイスを頂くというユニークな状況になっておりますが(笑)皆さんの愛を感じますので、ありがたく頂いております。

以上を申した上で、今回書いている一連のお話は、その1で書きましたとおり、2011年の出来事です。その意味で、このお話は、その当時を振り返って回想録として書かせて頂いています。

以上をご理解の上、続きをお読み頂ければ幸いです。

さて、こうした個人的なお話を公開すると、それに対しても、反応は様々です。人によっては、「こんな個人的な話は公に公開すべきでない」という信念を持っていますし、また別の人は、「今の私にぴったりのお話でした。こんな個人的なお話を勇気を持ってシェア頂いて、感謝の気持ちで一杯です。」とメールを下さいます。

上記の、どちらの反応も、善悪はありません。正邪もありません。

自分はどちらを選ぶか、だけです。

そして、私は、シェアすることで、誰かの決断の参考になれば、それでいいなと思っています。何しろ、私自身、これまでの人生で、どなかたの生き様、決断を著作、ネットなどで読み、たくさんの気づきを頂いてきました。

人生を秘密の箱にしまいこむのも人生。分かち合うのも人生。私は、後者を選びました。

また、こうしたシェアは、シェアする事実以上に、その根底にあるエネルギー、波動が大切になります。シェアする理由が、夫婦でどちらが正しいか決着をつける波動か?何かを見せたい虚栄心やエゴの波動か?など、マイナスの波動でシェアする事も可能です。

では、私はどの波動でシェアしているか?それは、私だけが知っていて、そして、その結果は、私が受け取ることになります。

その意味で、ここで、私が書くことを選んだことも、この過程でどんな選択をしたかも、私が意識して選んだ選択です。ご心配はありがたいですが、同時に、大丈夫か、というご心配は無用です。

全ては、意識的な選択ですので。

私の選択の結果は、貴方の考えと異なるかも知れません。その結果は、「間違い」と思う方もいるかもしれません。また、選択をする私は、完璧ではありません。それらも含め、私が、自己責任で受け止めるのが、人生という仕組みだと思っています。

また、わかりにくい概念かも知れませんが、実は、人は、定期的に、迷い、悩む必要があります。それさえも予定通りです。それは、そこに成長があるからです。その意味で、私は、この成長のジャーニーを、一番楽しんでいる一人かもしれません。

では、ここから続きを書いてみます。

ここから、少し文体を変えてみます。ですます調から、である調へ変えてみたいと思います。

離婚、の文字が頭をかすめる時に、誰もが直面する決定的な事実がある。それは、子供とは血縁があり、配偶者とはそれがないということだ。

では、何が結婚している二人をつなげているかと言えば、それは、法的には一枚の書類であり、スピリチュアル的には愛である。

つまり、固定概念から離れて、結婚を見直す時には、結局、お互いに、結婚を続けたい気持ちがあるか、に行き着く。

一方、子供とは、血縁があり、それは一生続く。どこに住んでも、別々になっても、それは変わらない。そこから、離婚を考えたとき、配偶者との別れと、子供との別れで、それぞれ異なる葛藤、感情とつきあうことになる。

そこで、また同じ質問に戻ることになる。

私は、子供と離れる覚悟はあるのか?子供を傷つけないことはできるのか?子供に嫌われる覚悟はあるのか?

ここで、困ったことがある。それは、実は、こうした時にどうしたらいいか、

その答えを、私は既に知ってしまっていたのだ。

私には、いくつか、人生の指針として、信じていることがある。その1つは、本当に、全ては成長に繋がるということ。この出来事でも、思考しているプロセスそのものが成長なので、成長が加速しているのを実感した。

もう1つの法則。

これは、個人セッションやワークショップでよく話していたことだが、巷の常識とは異なる、理解に時間がかかる法則。

それは、自分が幸せになる道を選んだら、その周りの人にとっても、その結果が最適になる、ということ。具体例を挙げよう。

このお話は、以前メルマガでとりあげたことがあるかもしれない。

ある女性は、少し依存症の傾向がある男性とおつきあいをしていた。あなたなしでは生きられない、とすがる男性を突き放すのには、罪の意識を感じるが、一緒にいて幸せにはなれない、と、女性は言う。でも、原則はここでも一緒。自分の一番の幸せを選ぶと、相手にも最適な出来事になる。ただし、最適な選択は、相手が喜ぶとは限らない。

最適の意味は、成長の意味で最適、ということ。しかし、成長をするので、後になって、喜びに変わることは多い。この例では、男性が依存症ならば、依存症の手助けをし続けることが本人の成長の助けになるか?と考えると、ある時点で、解放してあげることが、最高のご褒美になることに気づく。

ビジネスでも同じ。起業をしたいが、配偶者が反対しているとする。でも、本人が、どうしてもチャレンジしたいのならば、それは幸せを選択するのが一番。その出来事は、配偶者が、お金への不安に直面し、克服する成長の出来事かも知れない。あるいは、配偶者が貴方を心から信じて、また愛していなかったことに気づく出来事かも知れない。

これらは、拙著、

「あなたの経験には意味がある」にても書いたとおりだ。

離婚も例外ではない。本人が、自分に一番幸せな道を選ぶと、その結果は、相手にも最適になる。

こうした原則が働いている宇宙の仕組みは、これまでのクライアントの例をみてきて、私の中では確信となっていた。

だったら、迷う必要がないのでは、と思われる方もいるだろう。あるいは、ならばすぐに結論が出るのでは、と思う方もいるだろう。

実は、結論は、早い時期に出ていた。

私の内側では、この結末をどこかで知ってしまっていた。

それを、決断にするには、私が、頭で考えた事、ハートで感じた事、それらが五臓六腑に「腑に落ちる」事として、自分の中でシンクロを経験する必要がある、と感じた。

そこで、その為の、自分との対話を持つことにした。

私は、その場所に、京都を選んだ。京都に行ったのは、偶然でもあり、必然でもあった。前から気になってはいたものの、なんとなく延ばし延ばしになっていた。でも、それは、きっと、このタイミングを待っていたのだろう。

いくつかの「偶然」が重なって、2011年の夏、私は8年ぶりに、京都を訪れた。京都では、実にいろんな出来事が起きた。一言で言うと、まるで、今、ある答えに近づいている私を、宇宙が後押ししていると思えるような、不思議な体験が、次から次へと起きた。

タクシー、と思った瞬間に、人通りもない道に、突然タクシーが毎回現れた。

暑い日に、ハンカチを忘れたと気づいたら、目の前にハンカチ専門店があった。

おいしい蕎麦を食べたいと思っていたら、タクシーの運転手が目的地の近くにおいしい蕎麦屋がある、と連れていってくれた。

他にも、思い出せないほどのシンクロがあり、毎日が、不思議な喜びの連続だった。

そして、その瞬間、は訪れた。

その日、私は、1日かけて、鞍馬山を歩き続けていた。汗がしたたる暑い日に、水を飲み、汗をぬぐいながら、自分の鼓動を感じて、山道を歩き続けた。急な勾配の山道を登り、そして、階段を上り始めた。階段に足を踏み出している途中、次のステップを踏んだその瞬間に、全てがわかってしまった。私が、何をしたら幸せであるかを。今回、どの選択が、自分にとって一番の選択かを。そして、子供のことも。

全ての細胞が、これから起きる出来事を喜びで受け取る準備が出来た、そんな感覚を手にした。階段に足を踏み出した、その瞬間に、全てが見えてしまったような感覚だった。これは、瞬間の出来事だった。

階段に、特別な仕掛けがあったわけではない。鞍馬山でないと、その答えがおりなかったわけではないと思う。それまでの気持ち、思考を経て、自分で考え消化してきた全てのプロセスが、その「瞬間」へと導いた – そんな不思議な感覚だった。

気持ちは固まった。

ただ、もう1つ、答えをみつけておきたいことがあった。それは、私の健康に関することだった。

今回はここまでにします。

続きはその4でお読み頂けます。

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