私のスピリチュアルな離婚物語-第5章

スピリチュアルな離婚、最終話、続きは以下からお読み下さい。

第5章:奇跡的な偶然と必然

私の心は決まった。しかし、私には家族がある。

特に、妻は大人だが、子供はまだ多感な年齢だ。子供の人生を考えた時に、私の決断は最適なのだろうか?困ったことに、私は、この答えも知ってしまっていた。

自分にとって最適な決断をすると、それが周りの人にも最適になることを。ただ、既述の通り、最適、は、成長に最適、なのであって、本人がすぐに喜んで受け入れるか、は、また別の問題だ。

時には、しばらくは落胆、怒りなどの感情を経験し、その後ゆるしに転ずるというシナリオもある。

そこで、どんな結果が訪れようとも、それを受け入れる覚悟を決めた。

ところで、一般的には、離婚を考えたとき、子供の事を考え、思いとどまる、という夫婦は多い。それは、離婚を我慢する方が子供のためになる、と信じているからだ。ただ、それらは、あくまで、本人がそう信じているだけで、それが事実というわけではない。

実際、こんなケースを聞いたことがある。

友人の知人の話だが、以前彼の両親が離婚しそうになっていた。しかし、子供がせめて大学を卒業してから、と、彼の親は離婚を我慢していた。ところが、本人はそれがとてもいやだったという。「自分のために離婚を我慢していると言うのが、一番いやだった。まるで自分のせいで、何かができないみたいじゃないか。もう夫婦は終わっているのを感じるので、とっとと別れてくれたほうが余程良かった。」

離婚が子供のために良くない、というのは、思い込みでしかないことがある例だ。子供のために離婚を踏みとどまる親のうち、少なからぬ割合で、実は、子供を理由にしているが、本当は自分が離婚を怖れている場合がある。

こんな場合に、子供から、早く別れてくれた方が良かった、と言われると、逆上する。「あなたの為を考えてこんなに我慢してきたのに!親の気も知らないで!」反対に、離婚をして、幸せを手に入れて、にこやかに子育てをした例を想像してみて欲しい。

どちらが子供に良い姿を見せられるか、と考えると、同じ離婚を、別の視点でみることができる。

最高の貢献は、生き様を見せること。我慢を隠すことはできない。そこにない喜びを、あるふりをしてごまかすことはできない。

ちなみに、私が見てきた経験では、両親に愛がない家庭の子供の方が、愛がある片親に育てられた場合よりも非行に走りやすいと思っている。

波動があわない家庭で、ハーモニーを教えることはできない。

世界は、全てが常に移り変わっている。同じに見える人でさえも、常に細胞分裂を繰り返し、毎分、毎秒、何かが変わっている。

宇宙は、常に動き続けるモザイクのようなものだ。好むと好まざるに関わらず、宇宙は常に変化している。変化に抵抗するか、受け入れるか、これも個人の選択だ。

話を、子供に戻したいと思う。

私の子供は、どちらもアメリカ生まれ、アメリカ育ちだった。離婚となった場合、妻は、子供と日本の実家に帰るという。日本で順応できるだろうか?学校は受け入れてくれるのだろうか?アメリカを離れることに反発をしないだろうか?いろいろな考えが頭をよぎった。

特に、息子は、高校に入るタイミングだ。いきなり高校受験、はあまりにもハードルが高い気もした。

しかし、全てが最適ならば、きっと、最適な環境が待っているはず。一連の出来事で、何かと繋がっている感覚でいた私は、最適な答えを確信しながら、ふとパソコンの前に座った。

そして、ネットで数分閲覧をすると、待っていたかのように、息子にぴったり、と思える学校がみつかった。帰国子女の受け入れがしっかりしていて、受験はほぼ英語で行われ、しかも、住む予定の場所から通える距離だ。

私も妻も、その学校の説明を読みながら、これなら、息子も喜んでいくかもしれない、いや、息子には、このままアメリカの学校に通い続けるよりも最適な経験かもしれない、と感じていた。

子供には、私が直接話すことになった。一人ずつ個別に、食事に連れて行きながら、一対一で話すことになった。まずは、息子を連れ出した。静かな席を指定し、周りに日本語が通じそうな人がいないのを確認して、息子に話し始めた。

「今日、店に来たのは、ちょっと大事なお話があるんだ。これから話すことは、K(息子の名)にとって、今までで一番大きなChangeかも知れない。だけど、いつも話しているように人生では、乗り越えられる変化しか来ないようになっている。今回も、Kは必ず乗り越えられると思っている。ここまではいいかな?」

息子は静かにうなずく。

「大きな変化というのは、実は、来年から、Kは、日本の学校に通うことになるんだ。(妻の)おじいちゃん、おばあちゃんと住んで、そこから通う。M(娘の名)も日本に帰って、日本の学校に行くことになる。学校は、入学試験を受けないといけないけれど、アメリカに住んでいた人向けに、英語だけで受けられて、海外に住んでいた人が多く通う学校を考えている。できるかな?」

口元がゆるみ、わずかな笑みがこぼれた。後に、その理由を知ることになる。

「ママも一緒に帰る。そして、KとMと一緒に住むことになるよ。だけど、パパは帰らないんだ。アメリカに残る。これを、Kの知っている言葉で言うと、Divorce(離婚)をするんだ。」

多少表情が変わったが、穏やかさと、冷静さを保っている。「これは、Kにとって大きな変化だと思うよ。だけど、実は、変わらないこともたくさんある。例えば、パパがKの父親だということは、一生変わらない。

住む場所は違うけど、スカイプでもメールでも、いつでも話していられる。そして、日本に行く度に会って、一緒に温泉に行ったりできる」

息子は、一通りの話を、穏やかに聞いた。そして、静かに口を開いた。

「うん、俺は大丈夫だよ、peaceful divorceだったら。それにしても、peaceful divorceがあるって、考えもしなかったよ。実はね、最初、車で出かけるときに、何の話かと思ったんだ。成績が悪かった話かなと思ったんだけど、違う気もしていたんだよね。それで、レストランに入った瞬間、なぜか、divorce、って言葉が突然頭に浮かんだんだ。でも、そんな風にみえないから、それは違うって思った。
そしたら本当に離婚の話をするからびっくりしたよ。」

息子は、小さい時からサイキックだった。娘が幼少の時、大泣きしたときなど、何が欲しいか、いつも知っていた。毎回ずばり当たっていた。

彼は、人のエネルギー、気持ちを敏感に感じるタイプだった。この時のやりとりは、こんな具合に進んだ。一語一句覚えているわけではないが、今書いたようなやりとりだったと思う。ここで、印象に残ったのが、息子の落ち着きようだ。

スピリチュアルな表現をすれば、彼が成熟した魂であるのを、ここで感じてしまった。あの、穏やかな表情を、私は一生忘れない。

そこから、息子が、上機嫌で話し始める。思ったより大した話でなくて、ほっとしているらしい。そして続けた。

「日本に住めるなんて、思わなかったな。そうしたいと何となく思ったことがあったけど、possible(それが可能)なんて思わなかった。」

「大人になったら、最後はアメリカで暮らすと思うんだよね。だけど、その前に、しばらく日本に住んで、アメリカとどちらに住みたいか、比較したいと思っていたんだ。まさか、今住むことになるとは思わなかった。」

しばらくして、彼は、日本行きの為におこずかいを貯め始めた。日本に行ったら、大好きなラーメンをはしごする予定だという。そして、そのためにおこずかいを貯めるというのだ。

実は、彼は、アメリカ生まれながら、アメ食がとても苦手で、日本食が大好き。お呼ばれでアメリカ人の家に泊まって、朝にドーナッツやパンケーキ、ワッフルが出ると、食べられないので、お腹が痛いとウソをついて空腹で家に戻ってくる。そして、ごはんと味噌汁で食べ直すのだ。英語はネイティブだが、DNAは日本人だった。

日本の学校に行く、と聞いた瞬間に、彼の表情がゆるんだのは、ラーメンの食いだおれを考えたからだという。ちょっと拍子抜けするくらいに、うまく受け止めてくれた。

次は娘だ。

娘は、10歳になっても、1日に5回は、抱っこ、と言って私に抱っこ、ハグをねだってくる。独立心が旺盛で、勉強も、アメリカの現地校でいわゆるオールAみたいな成績なのだが、娘は、人が生きていくのに必要なガソリンは愛情だということを、自らの生き方で示してくれている。愛を表現するし、愛の催促もできる性格だった。娘は、息子と、いろんな意味で正反対のところがある。(そうして、お互いから学べるような兄弟・姉妹構成になる事が多い)

相手を感じるというよりは、自分がしたいこと、言いたいことを明確に持っていて、それを上手に話す。意志は固いし、決断力もあるが、喜怒哀楽を、息子よりはっきりと表に出す。

怒るかな?悲しむかな?

実は、息子が、穏やかに受け止めるのは、多少は想像していた。彼は想像を超えた穏やかさを示してくれたが、全くの驚きではなかった。

大きな反応があるとすれば、娘だ。

娘にこの話をしたら、しばらくは、娘が揺れ動き、いつもの快活な姿をしばらくはみれなくなるかも知れない。そうした、万一の覚悟を決めて、当日を迎えた。

レストランに入ると、「偶然」娘の方から、友人の親が離婚をした話を切り出した。やや出鼻をくじかれた形だ。その両親は、離婚後の娘さんの誕生日会で、決して親同士が顔をあわせないように、時間差で会場に出入りし、鉢合わせがあっても、決して口を聞かなかったという。

やや大人の観察者なところがある娘は、それをおもしろがって話してくれた。そして、その友人の女の子の反応をみて、びっくりしていた。「私は大丈夫よ、周りが騒いでいるだけよ。」と言っているという。離婚って大変なことと思ったけど、B(友人の名)をみていると、人によるんだなあと思った、という。

切り出すなら今しかない、そう思った。

「じゃ、M(娘の名)は、離婚ってどう思う?」
「うん、B(友人の名)のをみていると、大騒ぎする人と、大丈夫な人がいるって思った。」
「そうだね。それは、何かあった時に、それをどう感じるかは、人によって違うからだろうね。
離婚だけじゃなく、全てはそうだよ。同じ事が起きても、それを悲しいという人もいるし、大丈夫という人もいる。Mちゃんは、どっちの人だろう?」

娘は、間髪を入れずに、いつもの口癖を言った。
“I am awesome! You know that!”
「私は素晴らしいのよ!知ってるでしょ!」

こんな流れから、離婚の一通りの話をした。最初に、日本に住んで、学校に行き、という話をしたら、「ヤッピー!(やったー、みたいなニュアンス)」と言ってはしゃいで喜んでいる。あまり喜ばれても困るかな、と思いながら、まだ大事な話が終わっていないので、続きを話した。

そして、はっきりと、離婚、の話をすると、目をまん丸くして、舌をまるめて、文字で表現できないような不思議な顔をした。

しかし、彼女の反応も、10歳の女の子ではあり得ないくらい、大人だった。落ち着き、そして、「Mちゃんは大丈夫だよ!」と、明るく伝えてくれた。

子供達は、大人だった。私が考えていたより、遙かに大人になっていた。そして、日頃から、人生に失敗がないことや、最後はうまくいくという話をしていたのが、こんなところに繋がるんだと、不思議な巡り合わせをかみしめた。

超ポジティブな娘は、この大きな変化は、実は、生活がやや反対になるだけ、と受け止めているようだ。つまり、私と一緒に住んで、私が出張でいなくなるこれまでのライフスタイルの代わりに、私と別々に住んで、しかし私が日本に出張に行くと一緒に会える、ととらえたようだ。

そして、一緒に温泉に行ったりできるんだよ、という部分を拡大解釈して、早くも楽しみにし始めている。

全ては、杞憂だった。

できる心の準備をして臨んだが、子供達の魂レベルで、これらの出来事さえも予定に入っていたのだろう。自分自身にとっての離婚の決断は、簡単ではなかった。しかし、一番インパクトがあるだろうと思ったのは、子供達がどう受け止めるか、というところだった。

最適な成長、とは言っても、一時的にでも悲しむ、落ち込む姿を見るのは辛い。だが、予想したどの反応も、良い意味で裏切られ、これまでと全く変わらぬ親子関係だけが残った。

絆だ、と思った。

最初は、ちょっと拍子抜けさえした。あまりに悲しみを見せないので、我慢しているのかな、とか、自分がいなくても全然気にならないのかな、と、おかしな落胆もした。でも、しばらくして、わかった。

子供達とは、見えない、大きな絆で結ばれていることに。これまで過ごした日々は、伊達ではなかった。世界の何処に住んでも、切っても切り離せない絆が、そこにあるのを感じた。

別れることが決まって、しかし、心が温まる経験をするというパラドックスに、不思議な感覚を覚えた。すべてはうまくいくとは、こういうことを指すのだろう。

一番の課題だった、子供への話が終わって、大きな重荷をおろした気がした。今、妻と子供は、いや、正確に言えば、元妻と子供は、日本に住んでいる。

元妻は、当時ヒーラーデビューの準備中で、そのホームページ制作を少し手伝った。彼女の人生の目的は、ティーチャーになること。これまでの人生で、いつも誰かのサポートをしてきたらしい。今回の人生でも、私のサポートをずっとしてきてくれた。

でも、今、コインの表側を生きる時期に来た。表舞台に出る時が来た。自分の翼で羽ばたく時が来た。

その為の、最適な準備は全て整った。私の起業をそばで見て、ビジネスに関しても、スピリチュアルに関しても、少なからぬことを会得してきたのは、偶然ではなかった。今、それを使うときが来ている。心から応援をしている。

とは言っても、離婚をしたわけで、今までと同じ距離ではなくなるだろう。そして、それも最適と思っている。子供とは、毎週のようにスカイプをしている。ビデオスカイプをすると、娘は、椅子の上で、ぴょんぴょん跳びはねている。

こんな風に喜びを表現できる娘が、可愛くて仕方がない。この記事を2012年に投稿した直前、息子が無事、第一志望の高校に受かったとの知らせを受けた。日本に戻って、日本の学校に適合するだけで大変だっただろうに、その上に、いきなり高校受験という壁を、彼は乗り越えた。

また1つ、成長したことだろう。がんばったな。おめでとう。I am proud of you.

今、一人の部屋で、この投稿を書いている。この記事を書いているとき、時折、涙がとまらくなる。悲しみの涙ではない。

いろいろあっても、こんなにうまくつながっている人生に、感謝の気持ちでいっぱいになるのだ。今回の話を書き始めてから、

大勢の方からメールを頂きました。

この場を借りて、厚く御礼を申し上げます。

でも、今回の一連の記事は、自分にとっての意味が、一番大きかったように思います。当時を振り返り、そして、奇跡的な偶然、必然を経て、人生の素晴らしさを、改めて実感しました。

私のスピリチュアルな離婚のお話は、ここまでです。

ここまで、5回にわたりおつきあい頂き、ありがとうございました。

**2016年追記

まず息子ですが、彼にとって日本の高校は、学校人生で最高の3年間となったようです。それは、彼が大学受験の英語エッセイで書いた一文に凝縮されていました。

I’ve had the most growth in the three years at K High School than the 15 years in the U.S.

「私はK高校(息子の通った高校)での3年間で、アメリカでの15年全てを合わせたよりも多くの成長をした。」実際彼を見ていて、そう感じます。ちなみに、この英語エッセイは、私の母校である上智大学の入試で提出され、無事彼も入学となりました。

アメリカの小学校時代、毎年落第の可能性を先生に指摘されていた頃からすると、信じられない飛躍です。私はもっとすごい問題児だったので人のこと言えませんが(笑)

娘にとっても、日本の体験は最適だったようです。息子は大学卒業後はアメリカに戻ると言っていますが、娘は卒業後も日本に住みたいというほど気に入っている模様。とは言っても娘はまだ15歳、将来はこれからゆっくりかけて決めたらいいと思います。高校生にもなり、さすがに抱っこはなくなりましたが(笑)

それでもアメリカに泊まりに来る時は当たり前のように私と同じベッドで寝ている娘。いくつなっても可愛いものです。また、娘は住居に関してもユニークな考え方をします。

よく言うのが、「私にはいつでも遊びに行ける家が3つもある!」1つは現在元妻や息子と住んでいる家。2つ目は私の両親が住んでいた家。3つ目は私のアメリカの家です。こんな考え方、数え方ができるのは素敵だな、と、我が娘ながら思いました。

離婚以降、日本で、そして年一度はアメリカで、子供達と一緒にゆったりの時間を過ごしていますが、この新しい関係が子供達にとってどんな意味を持ったのか、彼らが私の誕生日に、それぞれ別の年に送ってくれたメッセージの一文が語ってくれました。

息子「今住んでる場所は別々だけど、もっと近くなったように感じる。」

娘「パパとは一緒に住んでいないけれど、もっと仲良くなった気がする!」

こんな趣旨でした。これは私も同じ気持ちです。なぜだか、考えてみました。

その答えの1つは、離れているからこその絆だと思います。

離れて暮らしているからこそ、そして、自分の決断で離れることになったからこそ、子供から連絡や相談があると、できる範囲で毎回、100%の自分を子供に注ぎ込みました。

例えば、息子の上記の大学入試エッセイは、持ち帰り試験だったので、皆高校の先生や塾でアドバイスを受けながら作成します。私は、このエッセイの話を聞いた時、この準備を全面的にサポートするから、と息子に約束し、実際、20回以上に及ぶ添削とアドバイスが続きました。そしてこの結果、彼との絆も更に強まった気がしました。

彼も私が忙しいのを知っているので、当初サポートは想定していなかったようですが、私が全面的に協力する、といった時の嬉しそうに輝いた顔は今でも鮮明に覚えています。

娘の高校受験時にも、受験直前に偶然(必然)私が日本に帰っていたので、ファミレスで面接と集団討論の練習を何時間も繰り返しました。その前に、集団討論に関して塾の先生が作った参考書をオンラインで見つけ、締め切りを過ぎていたのを諦めずに先方に連絡して購入したこともありました。

こうした一生懸命さは、子供に必ず伝わります。さて、一緒に住んでいる時に、ここまで瞬間瞬間を大切にしていたかというと、恥ずかしながら全然そうではありませんでした。

しかし、離れることで、却って愛しさが増し、そして、自分の決断が子供に及んでいることを感じながら、自分ができるサポートを全力でしたい!と心から思えたのです。

この離婚の顛末を2012年に公開してから、メール、またはセミナーで多くのフィードバックを頂きました。その多くは、考えた挙句不安ながらも離婚を選んでみたらそれが最適な決断だったと確信できた!といったものでした。

この一連のお話は、決して離婚を積極的に推奨することが目的ではありません。逆に、夫婦仲がこじれた時、最初に離婚を考えるのは間違っていると思います。

何がこじれているのか?どうしたら修復できるのか?それは修復可能か?そうしたことと正面から向き合って、そして結果、あなたの魂からの結論が離婚だった場合、それは人生の終わりでも結婚の失敗でもなく、学びを受け取り新たな道が始まる、

というお話です。では、このお話は以上です。

長い記事に最後までおつきあい頂きありがとうございました。

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