私は高校の頃、今より数倍不健康で(笑)ほぼ毎月のように風邪をひいていました。医者に行って、薬をもらって、それをもらっても治りきらなくて、そして、翌月になるとまた症状が重くなって、医者に行く、みたいな時期もありました。
そして、受験勉強が始まるととにかくその頃はひどい肩こり症で、一日に長時間座っていたり勉強したりとても出来ないほど、ひどい肩こり症でした。
そこで知り合いに聞いて、近所の鍼灸治療院に通い始めます。その頃は、週に3回、一日置きに治療に行かないと勉強ができないほどの肩こりでした。
さてそこで治療に行くと、鍼灸の先生から、「これは肩だけの問題ではなく、根本的な体質改善が必要だ」と言われました。そして、その方法で断食道場に行くのを勧められました。
そこで、当時予備校生だった私は、夏休みに一週間の断食道場にでかけることになりました。でかけてみると、これは断食に加え、禅もしくは、瞑想が日課でした。一日が瞑想で始まり、瞑想で終わることがプログラムの一貫でした。
ここで、面白い体験をします。その瞑想では、ただひたすら心を無にすることだけに集中するわけですが、断食をしている状態ですと、これがとりわけ効果的でした。初めての瞑想だったわけですが、丸一日食事をしないと、圧倒的に時間があります。そして、消化にエネルギーを使わないと、頭がこんなにクリアになるものなのかとびっくりしました。
さて、その瞑想、確か3日目か4日目の出来事だったと思います。毎日瞑想では、頭に何か浮かんでも、その続きを考えないということだけを決めて、ゆっくり呼吸を続けています。
最初のうちはなかなか雑念が離れなかったのですが、慣れてくると、何も考えない時間を少し経験できるようになります。そして、その3〜4日目の朝、その時に、本当に何も考えていない、いわゆる思考が無の状態を経験することができました。
その時は、何も考えていないのですが、しかし、自分の意識は逆にとてもクリアに存在するのを感じました。そこで悟りました。デカルトは間違っていたのです!
“我思う故に我あり”と言いますが、ここで経験でわかったのは、“我思っていなくても我あり”だったのです。
欲張りな私は、この頭が超クリアな状態を経験すると、いつでも頻繁にこの状態を経験していたいと思うようになります。そんな折、断食道場の先生が、面白いことをいいました。過去に数名、この断食道場に参加した受験生の人もいたらしいのですが、それらの人は全員受かったと私にいいます。
最初私は、受験生で唯一参加している私を元気づけてくれようと言ってくれているのだと思いました。しかし、その数ヶ月後、受験の会場でそれが現実のものとなります。
実は断食道場の後、その瞑想の快感が忘れられなくて、毎朝、勉強を始める前に、瞑想をして、そして、断食道場で経験したようなクリアなマインドに到達してから、勉強を始めるというのを新たな日課にしました。
日によっては10分、時に20〜30分かかることもありましたが、とにかく、同じ勉強をするんだったら、マインドが一番クリアな状態でやりたい、そして実際、その状態で勉強したほうが、はるかにはかどり頭に入るので、それが新しい日課となっていました。
これを継続すること半年、受験の当日に奇跡が起きました。あれは国語の試験の時間でした。午後イチということもあり、日頃の受験勉強の疲れがこの科目の時にどっと押し寄せてしまい、目を開けたまま白日夢に入り込んだようになっていました。ふと目が冷めて時計を見ると、残りが15分を切っていたのに、古文と漢文がまるまる30分の量が残っていました。
この瞬間「もう終わりだ」と思い、こんな大事な日に、朦朧としてしまった自分に悔しさを感じながらペンを置こうとしました。すると、そのペンを置いたその瞬間、まるで何かが私に乗り移ったかのように、そのペンをもう一度取り戻して、自分の中の全身全霊のスイッチがオンになりました。ペンを置くことで、「ここで諦めるわけにはいかない」みたいな、何か衝撃的な感覚が内側から湧き上がったのです。
その後の15分間は、生涯で一番集中した15分でした。問題を斜め読み、速読などをしながら、結果15分ですべて書き終えることができました。結果、第一志望校への合格を果たします。
その時も、そして今でも、あの時の集中力は、毎朝瞑想して、最高にクリアなマインドを作るトレーニングをしていた賜物だったと思います。
今思えば、肩が凝ってしょうがなかったので鍼灸に行き、そして、断食と瞑想を経験し、結果、受験に受かったわけですから、人生、どんなトラブルが幸いするかわかりませんね。
そして、人生の早い時期に瞑想を経験できたことが、その後の人生の節目節目で大きな力となってくれて、そして、今の仕事にもこんな密接に関わっていることを考えると、人生の縁は不思議なものだなと思います。
では、本日は以上です。